青森と北海道を結ぶ青函トンネル。
工期はなんと27年です。
海底トンネルなので、海水がトンネル内に入ってくる事故が多発しました。
20世紀最大の工事と言っても過言ではない、青函トンネルの工事。
34名が犠牲になった工事について解説します。
目次
青函トンネル建設中の事故【度重なる異常出水】
青函トンネルは1961年から工事が始まり、27年後の1988年に開通しています。
海底を掘り進めるトンネル工事だけあり、度重なる事故がありました。
尊い34名の命が犠牲になっています。
海底掘削をしていた1970年代は事故が多かった
海底の掘削をしていた1970年代は、青函トンネル建設でもっとも事故が多かったときです。
もっとも深刻だった事故は、海底掘削中の異常出水。
特に大きな事故は、下記の事故です。
- 1974年12月:毎分10トンの異常出水
- 1976年5月:最大で1分に85トンの異常出水
1974年12月の事故では、トンネル内130mが機械とともに水没。
作業員たちはイカダを作って、水を吸い出すポンプを運んだそうです。
40トン/分を吸水できるポンプで、必死に海水を吸い上げました。
トンネルの外からの圧力でトンネルが変形
1980年8月には、トンネル外部から大きな圧力がかかり、トンネルの形が変形してしまう事故がありました。
プレートにかかる部分だったようです。
補強工事としては、
- 吹き付けコンクリート
- ロックボルト
を使って補強。
無事に変形を修正した実績があります。
青函トンネル建設前は海難事故が多かった【新幹線計画もあった】
青函トンネルができる前は、青函連絡船という船で青森と函館を結んでいました。
ところが、1950年代の気象予報の技術は低く、特に津軽海峡の天候を予想するのは困難を極めました。
そんな中、津軽海峡で最大の海難事故「洞爺丸事故」が起こります。
1430人もの命を奪った洞爺丸の事故をきっかけに、構想にあった青函トンネルの建設が本格的に動き出したのです。
調査自体は戦後すぐに始まっていた
青函トンネル建設のための調査は、1946年からスタートしました。
戦後、わずか1年です。
ちなみに、構想自体は大正時代からあったそうです。
「青森と北海道をトンネルでつなぐ」という、国家規模の工事がスタートしました。
青函トンネルの建設当時から新幹線のトンネルを掘っていた
今となってはすごい話ですが、青函トンネルの工事が始まった1961年の段階から、北海道新幹線のためのトンネルが掘られたのです。
トンネルサイズも、当時から新幹線のサイズで掘られています。
実は、北海道新幹線の構想もかなり前からあり、青函トンネルが開通したら新幹線を通す予定でした。
しかし、1970年代のオイルショックなどが原因で、北海道新幹線の計画は延期。
そして、開通から28年後の2016年に、ようやく北海道新幹線が開通したのです。
長さ53.85kmで世界一長いトンネルになった
青函トンネルのデータは下記のとおり。
- 長さ:53.85km
- 海底部の長さ:23.3km
- 最深部:水深140mの岩盤からさらに100m下
1988年の完成当時から2016年まで、世界一長いトンネルでした。
青函トンネル建設に関わった建設会社【大手が総出で建設】
青函トンネルの建設に関わった主な建設会社は、下記のとおり。
- 鹿島建設
- 熊谷組
- 鉄建建設
- 大成建設
- 清水建設
- 大林組
- 三井建設
- 五葉建設
- 奥村組
- 西松建設
- 銭高組
- 前田建設工業
- フジタ工業
日本を代表する建設会社が、総出で青函トンネルと造りました。
まさに、日本の建設技術の結集と言ってもいいですね。
総工費は約7455億円。
のべ作業員は約1400万人にもなりました。
青函トンネルの建設方法
ご存知のとおり、青函トンネルは海底を掘っています。
一番避けなければいけないのは、海水が入ってくること。
なので、トンネルの掘削工事は下記の手順で行われました。
- まず小さな穴を掘る
- 穴の周りの岩盤に薬液を注入して、岩盤を固める
- 固まったら掘削開始
- 掘った面を金属の型で固定
- 掘った面をセメントで固める
これを少しずつ繰り返していく感じです。
岩盤のスキマから海水が流れ込んでくるリスクがあるので、薬液で固めます。
薬液は、セメントミルクと水ガラスを混ぜたもの。
工事のほぼ全般で使われた薬液です。
青函トンネルは3本のトンネルを掘っている
青函トンネルの工事では、実は3本のトンネルを掘っています。
下記の順番に掘られました。
- 地質調査のための先進導坑
- 作業員の通り道や機材を置く作業坑
- 電車が通るトンネル本坑
本坑の大きさは高さ10m・幅11mで、前述のとおり新幹線サイズです。
1975年から掘削スピードが大幅にアップ
1975年から機械による掘削が導入されました。
それにより、1日で最大17mを掘れるようになりました。
工事が始まった1960年代は、1日1mくらいしか掘れない人もあったそうなので、大きな進歩ですね。
1975年から、トンネル工事はテンポよく進んでいきます。
1983年に先進導坑が貫通
1983年に、青森側と北海道側の先進導坑が貫通しました。
このときは、1970年代の出水事故で命を失った作業員たちの写真も、貫通を見守ったそうです。
1985年3月10日の午前10:05に本坑が貫通
1985年には、ついに青森側と北海道側の本坑が貫通します。
最後の発破で大きな歓声が上がり、作業員たちは万歳をして祝ったそうです。
そして、青森側の作業員と北海道側の作業員がトンネル内で顔を合わせ、お互いが掘ってきた方を見て喜びを分かち合いました。
1988年3月に青函トンネルの利用開始【青函連絡船の廃止】
青函トンネルに電車が初めて走ったのは、1988年3月のこと。
特急「はつかり」が走りました。
青函トンネルが開通したと同時に、青函連絡船は廃止されています。
そしてご存知のとおり、現在の青函トンネルでは北海道新幹線が走っています。
スイスのゴッダルドベーストンネルが2016年に世界一長いトンネルになった
2016年までは青函トンネルが世界一長いトンネルでした。
しかし、2016年6月1日にスイスのゴッダルドベーストンネルが開通したことで、世界第2位になっています。
ゴッダルドベーストンネルは、
- スイスのチューリッヒ
- イタリアのミラノ
を結ぶ鉄道にあるトンネルで、全長57.1kmです。
ゴッダルドベーストンネルができるまでは、アルプス山脈を電車が通っていたことで、とても時間がかかっていましたが、トンネルを通すことで大幅な時間短縮になりました。
ゴッダルドベーストンネルについては、
鉄道トンネルで距離世界一のゴッタルドベーストンネルにまとめています(^^)
海底トンネルでは青函トンネルが世界一
海底トンネルに限定すれば、青函トンネルが今でも世界一長いです。
- 第1位:青函トンネル53.85km
- 第2位:英仏海峡トンネル50.5km
「英仏海峡トンネル」は、イギリスとフランスの間のドーバー海峡の下を通る海底トンネルです。
いまだに、青函トンネルを超える海底トンネルは出てきていません。
まとめ【青函トンネル工事は異常出水事故が多発した】
この記事をまとめます。
- 青函トンネルは、1970年代に異常出水が多発した
- 青函トンネルは、最初から新幹線サイズで掘られていた
- 岩盤を固めるために、セメントミルクと水ガラスの薬液を使った
- 1988年に開通し、2016年まで世界一長いトンネルだった
- 2016年にスイスのゴッダルドベーストンネルが世界一長いトンネルになった
以上、青函トンネルについてまとめてみました(^^)
参考になればうれしいです。