東京のシンボルである東京タワー。
東京タワーがなぜ建設され、どう建設されたのか解説します。
昭和30年代(1950年代)の話とは思えないほど、高度な建造物です。
目次
- 1 東京タワー建設を徹底解説【転落による鳶職人の死亡事故もあった】
- 1.1 そもそも東京タワーが建設された理由
- 1.2 東京タワーの建設会社は竹中工務店【設計は内藤多沖と日建設計】
- 1.3 東京タワーに求められた耐震性と耐風性
- 1.4 東京タワーの耐震構造【免震構造という方が合ってるかも】
- 1.5 建設中の東京タワーは朝6時~夜6時まで高所作業が続いた
- 1.6 東京タワー建設で大活躍した鳶職人たち
- 1.7 東京タワー建設の伝説【死のキャッチボール】
- 1.8 東京タワー建設中におきた死亡事故【死者数1名】
- 1.9 東京タワーには戦車の鉄が使われている
- 1.10 東京タワーの土台の建設
- 1.11 東京タワーの建設期間と建設費
- 1.12 東京タワーの高さは333m【エッフェル塔を抜いて当時の世界一】
- 1.13 【豆知識】東京タワーの色はデザインではない
- 2 さらに難しかった東京スカイツリー建設
- 3 まとめ【東京タワー建設風景は壮大だった】
東京タワー建設を徹底解説【転落による鳶職人の死亡事故もあった】
東京タワー建設について解説します。
- そもそも東京タワーが造られた理由
- 東京タワーの構造
- 鳶職人たちの命がけの活躍【死のキャッチボール】
などをまとめています。
そもそも東京タワーが建設された理由
東京タワーができた昭和33年12月までは、各放送局が自前で電波塔を建ててテレビの電波を送っていました。
高さは150mくらいで、半径70kmくらいしか電波を飛ばせなかったんです。
半径70kmだと、下記には電波が届きません。
- 栃木県のほぼ全域
- 埼玉県深谷より北
- 静岡県全域
各局が独自の電波塔を建てると、
- 東京の景観を損ねる(鉄塔だらけの街になる)
- 羽田空港の離発着時の危険
などが問題視されていました。
しかも、テレビのチャンネルを変えるごとに、テレビのアンテナの向きを変えないと行けませんでした。
そこで、300m級の高いテレビ等を建設して電波塔を一本化し、半径100km圏内にテレビ電波を届かせる計画が持ち上がったんです。
東京タワーの建設会社は竹中工務店【設計は内藤多沖と日建設計】
東京タワーの建設会社は、あの竹中工務店です。
日本を代表するスーパーゼネコンとして有名ですよね。
設計は内藤多沖氏と日建設計で行われました。
内藤多沖氏は、
- 大阪の通天閣
- 名古屋のテレビ塔
などの設計実績があり、東京タワー設計を任されたそうです。
ただ、いくら高層建築の実績があるとはいえ、当時では世界一高い建築物を造るということで、設計は難航したそうです。
構造計算だけで3ヶ月かけて、図面は1万枚以上になりました。
当時は機械もないので、手計算で東京タワーを設計したのですから圧巻です。
現場監督は当時31歳だった竹山正明氏。
竹山氏はNHKの電波塔建設の実績があったため、若手ながらの大抜擢でした。
東京タワーに求められた耐震性と耐風性
東京タワーの設計で重要だったのは、耐震性と耐風性です。
- 日本は地震が多い
- 東京湾から吹く強風に耐えなければいけない
などの理由からです。
結果として、
- 耐震性:関東大震災クラスの揺れに耐えられるよう設計
- 風速90mに耐えられる耐風性
を実現しました。
事実、東京タワーは一度も壊れていませんよね。
- 東京タワー完成から1年後の伊勢湾台風
- 2011年の東日本大震災
などでも、倒壊していません。
昭和30年代に設計された高層建築なのに、現代でも通用する耐震性と耐風性です。
東京タワーの耐震構造【免震構造という方が合ってるかも】
東京タワーは、部材を三角形に組み上げる「トラス構造」が採用されました。
地震の揺れを吸収するために、部材同士を完全に固定せず、わざと余裕をもたせています。
その余裕がしなやかに揺れを吸収してくれます。
旧日本建築のような発想に近いかもしれませんね。
建設中の東京タワーは朝6時~夜6時まで高所作業が続いた
東京タワー建設は、急ピッチで進められました。
昭和32年6月に工事が始まって、完成は昭和33年の12月だったので、たった1年半で建設したんです。
つまり、納期はかなりタイト。
のべ約22万人の作業員が工事に関わり、朝6時~夜6時までの長時間作業が続きました。
東京タワー建設で大活躍した鳶職人たち
高層部分の建築は、当然、鳶職人たちが行いました。
※鳶の若頭は桐生五郎氏で、当時なんと25歳でした。
鳶職人たちは、もちろん命綱はありません。
多いときでは、約60人もの鳶職人が高層部で仕事をしていました。
納期が厳しいことから、風速15m/sまでなら作業をしていたようです。
東京湾からの突風が吹くこともあります。
まさに命がけの工事でした。
当時はクレーンもないので、部材はゴンドラに乗せて高所に運んでいました。
東京タワー建設の伝説【死のキャッチボール】
鉄骨をつなぐ鋲(びょう)を、まるでキャッチボールのように渡していたのが東京タワー建設の伝説。
通称「死のキャッチボール」です。
800℃まで熱した鋲を、各作業場所までパスします。
鋲を受け取る鳶職人は、金属製のバケツで800℃の鋲をキャッチします。
ときには、20mクラスのロングパスもあったそうです。
死のキャッチボールは、約28万回も繰り返されました。
このようにして東京タワーは、なんとすべて手作業で建設されています。
東京タワー建設中におきた死亡事故【死者数1名】
東京タワー建設では、1名の尊い命が失われています。
1958年6月30日に、鳶職人1人が強風に煽られて高さ61mから転落して死亡しました。
当時はの足場は30cmほどしかなく、前述のとおり命綱もなし。
鉄骨にしがみつきながらの作業も多かったそうです。
東京タワーには戦車の鉄が使われている
東京タワー建設には、頑丈な鉄が必要でした。
ところが、時代は高度経済成長期。
国内で品質の良い鉄を手に入れるのは困難でした。
ところがちょうどその頃、朝鮮戦争で休戦協定が結ばれ、アメリカの戦車が民間に払い下げになりました。
東京タワーでは、そのアメリカの戦車の鉄を使用。
戦車の鉄は良質なので、東京タワーは頑丈に造られているというわけです。
東京タワーの土台の建設
東京タワーで最重要なのは、当然ながら土台です。
高層建築なので、土台がダメな場合の損害は大きすぎます。
海抜0m地点まで穴をあけ、長さ15m直径2mの円柱型の杭を、東京タワーの足1本に8本打ち込んであります。
つまり、かなり頑丈な基礎工事をしています。
また、東京タワーの4本足は、下にいくほど広がっていますよね。
本来であれば、タワーの自重で足が広がってしまいます。
それを防ぐために、直径5cmの鋼の棒を各足に20本を対角線上に結んであります。
東京タワーの土台は、かなり頑丈と言えるでしょう。
東京タワーの建設期間と建設費
前述のとおり、東京タワーは昭和32年6月に工事がスタートし、昭和33年12月竣工しています。驚くべきはそのスピード。
当時で世界一高い建造物でありながら、わずか1年半で完成させています。
昭和34年から東京タワーを使う予定になっていたため、絶対に遅らせることはできなかったそうです。
ちなみに、東京タワー建設費は約30億円です。
東京タワーの高さは333m【エッフェル塔を抜いて当時の世界一】
東京タワー設計当初は高さ380mで計画されましたが、資金的な問題等で333mになっています。
それでも、当時世界一高い建造物であったパリのエッフェル塔(312m)を抜いて、東京タワーが世界一の高さになりました。
東京タワーの正式名称は「日本電波塔」といい、東京都港区の芝公園に建設されました。
先端のアンテナ部分は、
- NHK
- テレビ朝日
- フジテレビ
- 日本テレビ放送網
- TBS
- テレビ東京
のアンテナが取り付けられています。
【豆知識】東京タワーの色はデザインではない
東京タワーの色といえば白と赤のイメージですが、正確には、
- 白
- インターナショナルオレンジ
の2色です。
これはデザインではなく、航空法で定められたカラーのため、なんと他の色にはできないんです。
東京湾から吹く潮風が強いため、5年に一度は塗装の塗り替えが行われますが、他の色になることはありません。
さらに難しかった東京スカイツリー建設
東京タワー完成から54年後、東京スカイツリーが完成しました。
テレビがアナログ放送からデジタル放送になるにあたり、東京スカイツリーが建設されました。
東京スカイツリー建設は、東京タワー建設のノウハウが活かされています。
しかも、東京スカイツリーは3本足。
東京タワーより難易度が高い建設となりました。
ちなみに、東京スカイツリー建設については、
東京スカイツリーの建設について【海外の高層建築も紹介】にまとめているので、興味あれば読んでみてください(^^)
まとめ【東京タワー建設風景は壮大だった】
この記事をまとめます。
- 東京タワーは、東京のテレビ塔を一本化するために建設された
- 当時、世界一高い建造物だったため、設計はハイレベルだった
- 東京タワーの耐震性と耐風性はかなり優れている
- 納期が短く、危険な状況での工事もあった
- 鳶職人は死のキャッチボールをして、命がけで工事にあたった
- 東京スカイツリー建設は、東京タワー建設が活かされている
東京タワー建設についてまとめてみました。
参考になればうれしいです。